「親も人間だから」がまだまだ悲しい

お腹が空いてひとりでご飯を作ろうとして、今日は4人分作ればいいかなと考えて、お肉は400g。作ったけど砂糖と塩を間違えて、味見したらしょっぱくて、塩気を取ろうと思って大量の砂糖水で煮たけど味は取れなくて、残ったのはしょっぱいおかず。 片付けようとして1人でできるだけたくさん食べて、だけど部屋にはひとりぽっち。

お父さんにちゃんとご飯を出して、食器をみんな洗って。

残ったおかずを冷やすために冷蔵庫のスペースを開けようとしてキウイをデザートに切って、寝込んでる母に持って行ったら「自分が立ててた夕食の予定と違う、なんでお肉使ったのよ」と怒られて。

 

妹よ、私だったらこんなん泣いてるよ

クソ、クソ、人間なんてクソ、死んじまえ

っていう気持ちを、『人間は怖い』に変換して、怖いのだと思い込むことによって、自分の加害性を抑え込んでるんだよなー

具体的に言えば、混雑した電車でスルスルと上手いこと楽なポジションにつく人、上手いこと椅子に座る人、知り合いが知り合いたちと集合して楽しそうにしてたりとか、クソってなる

つまりは自分に優しくない人、都合良くない人はみんなクソになっちゃいますね

完全に犯罪するやつの脳みそだわ。はーこわこわf:id:apologize:20190322213441j:image

 

これについてyahoo!知恵袋で質問したことがあって、自分でもベストアンサーだなって思ったのはこれ。他の回答が「それはクズの考え方だ!」みたいな批判的だったのに対して、この回答者さんは批判するわけでもなく、その人の考えを教えてくれた。この人に答えてもらって本当に良かったと思ってるし、感謝してますって伝えたい

楽しいことを待ってる時間が長い

長い。1日が長い。本当に長い。

みなさんはどうしてますか?

 

なぜ長いのかと言いますと、妹が私の家に遊びに来てくれると言ってくれたんです。10日後のことです。

長いながらも、わたしにはやらなければならないことがあります。

まず、テスト勉強。テスト期間真っ只中なので。明日のテストが得体がしれなすぎて不安だなぁ。、わたしは友達がいないので過去問もいただけないのですが、ほかの女子たちには回ってるんやろか。問題が回収されるテストではないだろうかな。

メモ持ってきていいテストなんですが、そういうテストこそ何やっていいかわからなくなるよね。メモなしやったら一生懸命覚えるだけなんですけど、メモありってどこメモするかとか、メモありっていうハンデがあるもんでテストのレベルも上がるだろうし、やったらノート丸々まとめるだけではいけないのかなあと、、結局ノートそのまま書き写して、テキストちょっと読んでちょっと書き写したかな?くらいなんですが。怖いなぁ…丸バツ問題やったらなんとかなるかも。

そのまた次は数学のテスト。数学のテストが一番好きだな。とにかく解いてけば大丈夫だから。その次はまた意味わからないテストだから単位をゲットできないかもしんない。したら授業料免除が絶望的だねえ。したらうちの家は大変なことになるなあ。。はあ、、ずっと「単位取れればいいや〜」て思ってたけどもっと頑張ってけばよかった。外国語はクソだよ。まず教授が本当に嫌い嫌い嫌いめちゃくちゃ。授業受けるの嫌すぎた。よく行ったよね。3回休んだけど。頑張りました。あとは活用とかも覚えることだよ。そしたらあと1つのテストやって終わりね。

 

それから、美術展の招待券を消費します。今週の土曜日行くつもり。

 

冷蔵庫の中身を全部食べ切らなくちゃならない。

 

部屋の掃除を丸々しなくちゃなんない。(なんてったって今、わたしの部屋は恐ろしく汚い。)

 

マットも布団も洗濯する。

 

服かけるシステムを作る。

 

これが全部終わった頃にはやっと妹に会えます。毎日駅でお迎えする想像を繰り返しています。テレビで一緒に行くお祭りのこと見るたびに、はやくきて!!と思う。なのにはやくこない…………

お風呂に入るのめんどくさい毎日。それでこの時間。早寝しなくちゃダメだと言うのに

2:40 mercredi,6,fèvrier

 

 バイトの人らとなんか外国?イギリス?に旅行に来ていて、バロックに泊まる。近くにホテルがあるのでそこにトイレがあって安心。近くの飲み屋で飲んでいる。外は雪が降っている。すると男の人がわたしを連れ出して山に導く。山を登っている時はわたしは1人で、緑が綺麗だ。まだ明るい。なんかそこにいたら危なくて連れ出してくれたらしい。頂上まで登ったところで下山する。その途中で男の人(欧米の人)がわたしを探してくれてて出会う。よかったと、とてもホッとしてくれて抱きしめられる。わたしの顔が相手のお腹のところにある。お腹がちょっと出てて痩せろよ、と思う。時々抱きしめてよ、って言おうか迷ってたら抱きしめが解かれる。手を繋いで下山する。とても好きだ。帰るとまだ宴会が続いていた。彼は友達が多いようだ。ドリンクバーのとこで友達に持って来てと言われたものを一緒に作りに行く。ドリンクバーにいた仲間と彼が話をしている。わたしはさっきからめちゃくちゃトイレに行きたくて、彼がどっか行った時に仲間に告げてトイレ行く。外は雪。すると仲間たち(欧米人)みたいな集団が後ろから踊って来て、混じって坂を下ってる。音楽に合わせて踊る。デジャヴで、とても楽しいのは知ってる。階段のところで彼が現れて、一緒に踊る。大好き。最後に2人でちょっと話す。

 


起きてからも彼を愛している

だれかへ

だれかへ

 


だれか

だれかだれだ

だれかどこにいるか

 
だれか

だれかどこだ

だれかいつ出会えるか

 
わたしはいつもだれかを探しながら

駅を歩く

夢を見る

友達と話をする

 
しかしだれかに出会えたなら

だれかを愛することができるでしょう

あなたを探して

人生という旅を続ける

2

人の性格?性質?には二種類あって、(私はあまり外国人と接点がなかったから)少なくとも日本人は全員その二種類のどちらかに当てはまるもので、それは何かと言うとドジか、ドジではないかだと思ってた。

例えば中学生の頃、教室の一番後ろの席に座っていて、前から回されてくるプリントがちょうど自分の分だけ足りなくて、先生のところに取りに行く時。本当はそんなつもりないのに、椅子の足に自分の足を当ててしまってちょっと大きな音を出す。みんながちらっとこっちを見る。全身に冷や汗をかいて、筋肉がこわばって、教壇のところでまたこけて、席に戻るけど、冷や汗が乾いて寒くなってお腹を壊す。

確かにこれはドジというものかもしれないけど、ドジである以前に人が怖いのだと思う。みんながこっちを向いた時に恐怖を感じなければ胸を張って歩くことができるし、冷や汗もかかない。

恐怖を感じるのは、みんなが自分を責めてるんだと考えたからで、それは自分が悪いことをしたと思ったからそう考えられたことで、謝罪ができればちょっとスッキリするけど、それもできないような軟弱な精神のみを持つ。そういうやつ。と、そうではないやつ。

こうして、私の定理の一つが少し変わったことを、メモします。地球人、少なくとも日本人は、自己肯定ができる人(もしくは自己肯定ができなくてもそれを表に出すことがない人)と、自己肯定ができずそれがその人の行動に出てきてしまう人に分断される。

これまでは、漠然とあっち側へ行きたい、もう冷や汗をかいてお腹を壊したくない。とばかり考えていたので、ちょっと進歩したと思う。

肝心の自己肯定ですが、友人に無言の内に見放された今、私はちょっと無理だな。

大河ドラマのオープニング

大河ドラマのオープニングの話するよ。大河ドラマのオープニングを聞いてかなり感動している。今、西郷どんの3話です。

大河ドラマのオープニングって、すごい好き。力が湧いてくるんですよね。元から大河ドラマ好きってことももちろんあるんだろうけどもね。やっぱり、その人の人生を描いてると思う。江とかやったらお姫様の話やから、華やかな音楽やったりするし、今やってる西郷どんなんかドドドドーンって感じでうおってなる。

第1話では「うおーこれからやるぞ!俺は生きるぞー!うおー!」っていう生命の息吹というか強さというか、ドラマの中では1話はだいたい子役が出てくるんだけど、この先この子が大きく育って、ああ立派になるんやなと思って泣きたくなる。

それからだんだん耳が慣れてきて、いちいち感動はしなくなってくるけど、一年ゆっくりとこの音楽はこのドラマだってわかるようになる。

第50話では、1〜50話までの様々なことが脳裏をよぎって、「ようやったなあ、もう全て終わってしまった(主人公は死んだ)けれど、こう生きたあなたのことは私の胸にしかと刻んだ…天国で見ちょってくりょ」とか思う。いや、これはちょっと薄っぺらい表現で、もっとずっと深くなんか感じる。涙が出てくる。