祭りの話

おくんちを見てきた。祭りが好きだ。山車を勢いよく担ぐ男たち。船を勢いよく回す男たち。それに続く女たち、子供たち。みんなかっこいい。自分もあの中に入って見たいとさえ思う。

しかし、祭りというのは多くの人間で作り上げるものである。前述のとおり、祭りの一人称には「たち」がつく。船を操る男たちに何かを聞くと「俺たちは、」と答えるはずだ。それだけ、集団で作り上げるものだ。

そんなことを考えたらものすごい悲しくなった。集団でいたくない。どうしようもない。例えば、祭りの後に打ち上げをするであろう。その時は水を飲んで終わる。会話をしたくなくて水を飲んでごまかす。常に水を飲んでいる。お腹はタプタプである。辛い。だけど祭りは素晴らしい。持つべき力を持ちそびれた。どこで?いつ?どうして?

だけど祭りは楽しい。あの一部として腹の底から呼吸してみたいな。という話です。でも今は少し悲しい。

船を見たときの感動とか楽しいなって気持ちは忘れないでいるべきさ、と思う。悲しさにとらわれない。日焼けしたことだって笑ってやるよーおわり